窃盗事件・その後 ―― 謝罪と、終わらない違和感
後日、A君が起こした窃盗事件について、正式な謝罪のためクライアント本社へ伺うことになった。
この会社に入ってからというもの、大小問わずトラブル対応やクレーム処理は、ほぼすべて自分の役割になっていた。この件も例外ではなかった。
同行したのは営業のY君。
二人で本社の応接室に通された瞬間、空気の重さを肌で感じた。
席に着くと、そこにはクライアントの社長様だけでなく、事業本部長様まで同席されていた。
どの表情も硬く、怒りというよりも、深い失望が滲んでいた。
静かな沈黙のあと、本部長様が口を開いた。
「A君は、今回の件について、どういう説明をしているのかな」
覚悟していた質問だった。
自分は、事実だけを淡々と伝えた。
「本人は、“ゴミと携帯電話がお客様のバッグに入ったため、それを取り除こうとした。その際に財布を持ち上げてしまった”と説明しています」
言葉にしながら、自分の中で強い違和感があった。
その説明が、誰の目にも苦しい言い訳であることは明白だった。
自分は続けた。
「どのような理由があるにせよ、お客様に断りもなく私物に触れる行為は、業界のルールからも大きく逸脱しています。そのため、当社としては懲戒解雇といたします」
しばらくの沈黙の後、本部長様が静かに、しかしはっきりと仰った。
「正直に言うとね。〇〇社さんには、かなり期待していた。でも、これでは取引自体を続けるのは難しい」
胸に突き刺さる言葉だった。
それでも、ここで言い訳をする選択肢はなかった。
「この度は多大なるご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません。本来であれば警察を呼ばれてもおかしくない案件にもかかわらず、ご配慮いただいたこと、深く感謝しております。
今後のお取引、また現在進行中のプロジェクトにつきましても、中止で問題ございません。社内体制を含め、二度と同じことが起きないよう徹底して参ります」
この場で、できる限りの誠意を示したつもりだった。
実際には、ここに書いたやり取りはほんの要約にすぎない。
状況説明、経緯の整理、質問への回答、そして厳しい指摘――
謝罪と“尋問”は、実に3時間にも及んだ。
正直、精神的にはかなり削られた時間だった。
一方で、当の本人であるA君はどうだったか。
最後まで態度は変わらなかった。
「財布を盗んだわけじゃない」
「ちょっと持ち上げただけ」
その一点張りだった。
自分が何をしたのか、相手がどんな恐怖を感じたのか、まるで理解していない様子だった。
さらに驚いたのは、社長の反応だった。
社長はA君をたいそう可愛がっており、「できない子ほど可愛い」というスタンスで、これまで散々面倒を見てきた。
今回の件についても、
「現金は盗んでないだろう」
「財布を持ち上げただけなら犯罪にはならない」
と、信じがたい言葉を口にしていた。
社員のほぼ全員が「解雇は当然」と考えている中で、社長だけが最後までA君をかばっていた。
その光景を見て、自分の中に、言葉にできない不安と違和感が広がっていった。
こうして、A君の窃盗事件は“解雇”という形で一応の幕を閉じた。
しかし、本人が最後まで非を認めなかったこと。
そして、社長が最後まで現実から目を背けていたこと。
この二つは、後になって大きな波紋を呼ぶことになる。
そして――
まるでギャグかドラマのような話だが、A君はこの後、まったく同じような事件を、別の場所で再び起こすことになる。
その時、自分はまだ知らなかった。
この出来事が、「氷山の一角」に過ぎなかったということを。

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