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起業物語Re45 起業・経営編

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仲間内での起業はうまくいかない——それでも信じたくなかった

「仲間内で起業するな、必ずうまくいかない」

起業を志した当初、複数の先輩経営者から口を揃えてそう言われた。
だけど当時の自分には、その言葉が現実味を帯びて感じられなかった。気心の知れた仲間とともに、思いを共有して何かを創る——それは希望に満ちた未来にしか見えなかった。

でも今、振り返って思う。
あの言葉は、本当に“その通り”だったと。

自分は営業担当、MくんとOくんはそれぞれ人脈と技術を武器に、派遣免許取得を断念して以降、HP制作事業で会社を回していこうとしていた。OくんはプログラミングやWeb制作の技術に長けていて、HP作成のほとんどを1人で担ってくれていた。

ただ、それが大きな負担になっていたことに、自分は気づけなかった。

案件が取れれば、会社が前に進む。
そう信じて、がむしゃらに営業に出た。自分はとにかく契約を取ることに躍起だった。

けれど、本来なら受注は“喜ぶべき成果”のはずなのに、Oくんの表情は日に日に曇っていった。

HP制作は時間も工数もかかる。
しかも立ち上げ間もない自分たちの会社では、1件15万円程度での契約が限界だった。月に何件もこなさなければ、利益にならない。それでもOくんは不満一つ言わず、黙々と作業に取り組んでくれていた。

だけど、限界は突然やってきた。

Mくんが退職して3カ月ほど経った頃、Oくんから「話がある」と切り出された。

「もうこの会社ではやっていけない。プログラミングに時間がかかるわりに、収益にならないし、この給料じゃ生活が成り立たないんだ」

彼の給与は月15万円。
資金も底をつきかけていた自分には、それ以上を支払う余裕も、改善の見込みもなかった。
止めたくても、止める資格すらなかった。

結局、Oくんは受注中の案件を最後までこなしたうえで、静かに会社を去っていった。

そして、起業から半年が経った時、自分は一人になった。

孤独だった。怖かった。
営業も、制作も、管理も、すべてを一人で抱えるには限界があった。

当然、Oくんのようにプログラムを書くスキルなどない。
残された案件に関しては、やむを得ずすべてのクライアントに謝罪を入れた。

知り合いを中心に営業していたため、その反動は大きかった。
ある経営者からは、はっきりこう言われた。

「ほら言ったじゃん、経営なめんなよ」

その言葉が胸に刺さった。

自分では、やれると思っていた。
会社員時代、トップの営業成績を上げていた。
どこへ行っても評価されていた。
だから、経営も“なんとかなるだろう”と、どこかで思い込んでいた。

でもそれは、ただの過信だった。
組織で動くことと、会社を回すことは全くの別物だった。
1つ契約を取れば“勝ち”だと思っていた営業マンの思考は、経営では通用しなかった。

売上だけじゃダメだ。
人、資金、信頼、バランス。全部を見て、動かして、支えないといけなかった。

それができていなかった。

自分には何も残っていなかった。
仲間も、信用も、お金も、夢も、ほとんど全部が崩れていた。

廃業か、継続か——。
会社を閉じるか、続けるか。
答えの出ない問いが、毎日頭の中をグルグル回った。

暗闇の中で、どこに光があるのかも見えなくなっていた。

だけど、それでもどこかに、まだ小さな希望の種が残っていた。
あのとき、「あきらめなかった」からこそ、今がある。

この時期のことは、今でも忘れられない。
人生のどん底で、初めて自分の“甘さ”と向き合った瞬間だった。

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この記事を書いた人

石川信孝
茨城で建設会社を経営しています
工具はマイナスドライバー1本しか持っていません

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