崩れゆく信頼と、燃え尽きる希望の先で
前回お伝えした通り、融資の保証人としてあてにしていた前顧問税理士との連絡が取れなくなり、派遣会社として免許を取得する道は完全に閉ざされた。
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
会社はすでに登記してしまっていたし、ネットや電話の開通、事務所の契約、HPの制作も進んでいた。200万円という手持ち資金も、メンバーへの生活費や初期費用としてあっという間に減っていった。収入の見込みはゼロ、ただひたすらに出費が続く日々。
「何かしないと潰れてしまう」
事業の軸であった派遣業が免許の問題でストップしてしまった今、新しい収益源を考えなければならなかった。
そんな中で出てきたアイデアが「電話による成果報酬型求人サービス」だった。
当時、ネット上ではジョブセンス(現:マッハバイト)のように、「採用が決まったら企業から報酬をもらう」というモデルが注目されていた。これを、インターネットではなく電話営業でできないか?という発想だった。
採用に困っている企業に電話をかけ、「採用が決まったら○万円だけでいいんです」と提案する。確かに合理的ではあったが、現実は甘くなかった。
企業から返ってくるのは、「電話でそんな課金の話をされても困る」「実績がないと不安」といった声ばかり。営業努力は空回りし、結果的にこの案は“即、不採用”となった。
今思えば、それをネット上でスマートに仕組み化し、上場まで漕ぎつけたのが、まさにジョブセンスという存在だった。
時代が少し違えば、自分たちにもその可能性があったのかもしれない。
そんな中、わずかな希望となったのが「ホームページ制作事業」だった。
当時はまだ、Web制作を行う会社は少なく、HPが必要でも“誰に頼めばいいかわからない”という企業が多かった。メンバーの一人、OくんはプログラミングやPCに精通しており、「自分が制作担当になるのでやってみましょう」と言ってくれた。
1案件あたり15万円ほどで提案してみると、意外にも反応は良かった。何社か話を聞いてくれ、実際に受注にもつながった。ここに希望の光が見えた。
しかし、追い打ちをかけるように、次なる“事件”が起きる。
立ち上げメンバーの一人、Mくんが突然こう言ってきたのだ。
「実家の親から、富山に帰ってこいと言われてて……会社を辞めたい」
耳を疑った。Mくんは、自分が派遣業界に入るきっかけとなった人物。会社設立に際しても、彼がいてくれたからこそ踏み出せた部分が大きかった。
自分:「立ち上げるって、そう簡単な覚悟でできることじゃないよね?」
Mくん:「正直に言うと……前職の会社を裏切ってる気がして、気持ちが持たないんだ」
まさかの離脱宣言だった。
気持ちはわからなくもなかった。前職の関係者とは顔なじみも多く、その人たちの顔が脳裏に浮かんでしまうのだろう。だが、それでも、わずか3カ月でチームの核が抜けるという現実は、あまりにも厳しかった。
こうして残されたのは、自分とOくんの2人。
資金は底をつき、事業の核だった派遣業も免許が取れず止まっている。
最後に残った細い糸。それがOくんの持つ「スキル」だった。
HP制作というわずかな光を頼りに、2人で食いつなぐしかないと決意した。
ただし、この時点で状況は相当悪かった。精神的にも、経済的にも、追い込まれていた。
そんな中――さらに追い討ちをかけるように、とんでもない事件が起きてしまうのだった。

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