会社清算という決断 ― 破産宣告の日を迎えて
会社経営を始めてから8年、がむしゃらに走り続けてきたが、ついに資金繰りが限界に達した。今回は、自分が会社清算という決断を下したときのことを、心境も含めて振り返ってみたいと思う。
資金が底をつく日々
デジタル体験会の終了、仲間の離脱、取引先からの未払い事件……次々に降りかかる困難に耐えながら、なんとか会社を回してきた。しかし、売上は減少し続け、外注費や固定費だけが重くのしかかってくる。
銀行からの返済も滞り始めると、新たな融資などしてくれるはずもなく、資金は雪だるま式に減っていった。キャッシュフローの紙を何度も書き直したが、どこをどう切り詰めても「持たない」現実が浮き彫りになるばかりだった。
「もうこれ以上は一人でやっていても返せる見通しがない」
そう悟ったとき、心の奥底にあったのは疲労感だった。会社を守るために必死に戦ってきた8年が、ここで終わりを告げようとしていた。
弁護士に相談する決断
経営者として最後の責任を取るために、自分は弁護士に相談した。知り合いのつてを頼り、立川の裁判所で破産手続きを進めることになった。
会社を清算するということは、借金の連帯保証人になっている自分個人も破産宣告を受けるということだ。つまり、今後10年以上はクレジットカードもローンも組めない生活になる。
もちろん、そのリスクは理解していたが、それ以上に「もう楽になりたい」という気持ちが勝っていた。怒涛の8年、がむしゃらにもがいてきた結果がこれだった。
「自分には経営の資格も資質もない」
破産宣告を決断したとき、自分の頭に浮かんだのは「経営者失格」という言葉だった。自分には経営の資格もなければ資質もない、そう強く思った。
真っ暗な部屋に閉じ込められ、出口の見えないトンネルの中でもがき続ける8年間だったように感じた。それを自分の手で終わらせる決断をする――これは悔しさではなく、ある種の「諦め」と「解放」だった。
破産宣告の日
立川の裁判所に足を運んだあの日のことは、一生忘れないと思う。書類を提出し、淡々と手続きが進む。誰も責めない、誰も励まさない。静かな空気の中で、ただ一人、自分の会社の幕引きを行う。
この瞬間、自分の中で一つの時代が終わった。悔しさも、悲しさも、不思議なことにその場ではあまり感じなかった。ただ「やっと終わった」という感覚だけがあった。
終わりに
怒涛の8年間は、決して無駄ではなかったと思いたい。失敗したことも、裏切られたことも、従業員を守れなかったことも、すべて含めて自分の糧になっていると信じたい。
会社を清算したこの日を、自分は一生忘れないだろう。あの日を境に、自分の人生はまた新しいステージへと進んでいくことになる。

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