1978年、北海道の東の果て、根室で自分は生まれた。明るくて陽気な母と、無口で時に手が出る厳しい父のもとに。家はボロ屋で、冬になれば隙間風が吹き込み、夏になれば雨漏りが当たり前のようにあった。姉が二人、猫が何匹もいて、どこかでいつも鳴き声がしていた。
父はほとんど家にいなかった。ダンプの運転手をしていて、北海道中を走り回っていたからだ。やがて東京の知り合いに誘われ、父は単身で出稼ぎに行くようになり、ますます姿を見せなくなった。自分にとって、「父がいない家」というのは、ごく自然な日常だった。
母は生命保険の営業をしていた。日々、厳しい寒さの中でも一軒一軒訪問していた。その姿で今でも鮮明に覚えているのが、ある吹雪の日のことだ。自分の手を引きながら、長靴に半ズボンのまま、母は自分を連れて家々を訪ね歩いていた。幼かった自分には過酷だったが、そんな中でも母の背中はたくましく、誇らしかった。「お母さんはすごいな、毎日こんなに大変なんだ」と子どもながらに思っていた。
そんな母も家にいないことが多く、自分は姉たちと過ごす時間がほとんどだった。だが、その姉の一人が、自分が生まれて間もないころ、熱湯を自分の頭にかけてしまった。原因はもう覚えていないが、そのときのやけどは頭頂部に今も跡として残っている。この傷は、成長する中で大きなコンプレックスとなった。小学生のころから大学に至るまで、自分の見た目が気になって仕方がなかった。髪型を工夫して隠そうとしたり、人前に出るのを避けたり、傷以上に心が痛かったのかもしれない。
そんな自分にも、あたたかい記憶はある。それは祖父の存在だ。根室のはじっこ、海のすぐそばに祖父の家があり、時々訪ねていくと、祖父はとても優しく迎えてくれた。昆布漁をしていた祖父は、毎朝早くから海に出ていた。近所の人たちは、「あの人は自分の息子(父)にはとても厳しかったけど、孫には甘いね」と言っていた。
祖母は自分が小さい頃に脳卒中で亡くなっていて、記憶はほとんど残っていない。その分、祖父との思い出が色濃く心に残っている。だが、その祖父も自分が高校生のときに亡くなった。部活に忙しくしていた自分は、祖父が危篤だと聞いても「あとで行けばいいや」と考え、その連絡を無視してしまった。結局、祖父の最期には間に合わなかった。
「おじいちゃん、最後まで自分に会いたがってたんだよ」
そう母から聞かされたとき、心に深い後悔が残った。あのとき、すぐに会いに行っていれば。もう二度と会えないとわかっていても、心はずっとあのときを悔やんでいる。
自分の北海道の記憶といえば、吹雪と祖父の家から見た海の景色が特に印象に残っている。とくに冬の海は、ただただ恐ろしく感じた。荒れ狂う波、冷たい風、重たい空。幼かった自分は、その自然の厳しさに圧倒され、同時に畏怖のような感情を抱いていた。でも、どこかで自然の雄大さ、偉大さを感じてもいた。
今、自分は大人になり、ふとあの頃を思い出すことがある。いつか、大切な人と一緒に、祖父の墓を訪ねたい。そしてあの海を、もう一度見に行きたいと思っている。
それは、子どもだった自分と今の自分をつなぐ、大切な旅になる気がしている。

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