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起業物語Re21 生い立ち

「見えなかった光、折れた心」〜筑波大学バスケ部・挫折の3年間〜

1年生の頃、ただがむしゃらにバスケに打ち込んでいた。
誰よりも早く体育館に入り、誰よりも遅くまで練習をしていた。だが、結果は残せなかった。
2軍には2軍の大会があり、18人のユニフォームメンバーにすら入れなかった。
今振り返ると、「がむしゃら」だけでは足りなかったのだと思う。
自分の長所を見極め、それをどう活かし、どうチームに貢献するか。
そしてその姿勢をどう練習でアピールするか——
そうした視点が決定的に欠けていた。

筋力をつければなんとかなる、という思い込み。
努力の方向性を間違えたまま、ただひたすらに走り、撃ち、鍛え続けた。

1年目は、新しい環境に順応すること、そしてプロ並みの先輩たちのプレーを間近で見られる喜びで満ちていた。
だが2年目になると、「1軍に上がりたい」という欲求と、「自分はそのレベルに届いていない」という無力感に苛まれるようになる。

2軍のコーチは毎年交代する。
教え方も内容もガラリと変わる中、それに適応することもまた苦しかった。
自分と同じ環境のはずなのに、同期の何人かは次々と大会で結果を出し、1軍に昇格していった。
嬉しいはずの仲間の成長が、素直に喜べない自分がいた。

3年になると、再びコーチが交代。
今度は全国的に有名な筑波のOB、実力と名声を兼ね備えた指導者だった。
しかし、そのころにはもう自分の出場機会はほとんどなかった。

練習試合さえも、出られなかった。
もはや消化試合のような感覚で、何のためにバスケをしているのか、わからなくなる。

それでも夏休み、自分ともう一人の3年生は地元にも帰らず、体育館にこもって練習を続けた。
「3Pを200本決めるまで帰らない」と決めた日もあった。
弱点を洗い出し、筋トレを繰り返し、コートに向き合う毎日。
自分を変えたくて、ただ必死だった。

そんなある日、名門・土浦日大高校との練習試合。
2軍の試合とはいえ、自分はたった3分だけ出場の機会を与えられた。
その3分間で、3Pシュートを2本成功させた。
「やっと、何かを掴んだ」そう思った。

だが、当時のコーチは「ポイントガードはシュートを打たなくていい」という考えだった。
自分の3P成功に対して、何の反応もなかった。
むしろ、その後の出場機会は完全になくなった。

そこで、自分の心の糸がプツンと切れた。
どれだけ努力しても、認めてもらえない。
未来がない。自分のやってきたことには意味がなかった——

その思いが頭の中を駆け巡った。

よく「メンタルコントロールが大事」と言われるが、自分にはそれができなかった。
努力してきた分だけ、裏切られたような気持ちが大きかった。
絶望感に心が押しつぶされ、ついに練習に行けなくなってしまった。

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この記事を書いた人

石川信孝
茨城で建設会社を経営しています
工具はマイナスドライバー1本しか持っていません

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