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起業物語Re22 生い立ち

「筑波大学バスケ部を辞めた日」〜自分で終わらせた夢の話〜

3年生の夏、自分の中の何かがぷつんと切れた。
それを境に、バスケ部の練習に顔を出さなくなった。

無断で1週間休んだが、誰からも連絡はなかった。
総勢60人もいるバスケ部。しかも自分は2軍の中でも控えの存在。
一人の不在など、誰の記憶にも残らないのかもしれない。

その1週間は、何もする気力がなかった。
家にこもり、ただ食べては寝るの繰り返し。授業もほぼ出ていなかった。
ただ、貧乏学生だった自分にとって、アルバイトだけは欠かせなかった。
つくばには、居酒屋、ファミレス、引っ越し屋など、たくさんのバイト先がある。
最低限の生活を維持するために、働くしかなかった。

バスケ部を離れて1ヶ月が過ぎた頃、2軍のコーチから言われた。

「辞めるなら、きちんと監督に話をしろ」

その言葉を受けて、自分は覚悟を決めた。
言い訳や説明をするつもりはなかった。
ただ、静かに、けじめだけをつけたかった。

笠原監督のもとを訪ねたとき、僕は一言だけ告げた。

「将来が見えなくなったので、辞めます。お世話になりました」

監督は短く、「そうか、わかった」とだけ言ってくれた。

夢を抱いて入部した筑波大学バスケ部。
心が折れてしまっても、どこかで誰かに引き止めてほしい気持ちもあったのかもしれない。
でも、あまりにあっさりと終わったその時間に、自分で決めたことなのに、少しだけ虚しさが残った。

それからの生活は、本当に「ゴミのような日々」だった。
日中はパチンコ屋に入り浸り、夜は居酒屋のバイトに出る。
目的も夢もない。生活のためだけにお金を稼ぐ毎日。
どこに向かっているのか、自分でもわからなかった。

そんなある日、バイト先の居酒屋に、筑波バスケ部の4年生・成田さんが飲みに来た。
成田さんは、良いことも悪いこともハッキリ言うタイプの人だった。
バスケ部時代、そんな彼の姿勢を密かに尊敬していた。

酒を飲みながら、成田さんはこう言った。

「お前は我慢が足りないんだよ。練習、一番頑張ってたろ?
4年で花が咲くこともあるんだよ。もったいない」

胸に刺さった。
あの成田さんも、長く2軍生活を続け、ようやく3年の終わり頃から1軍に上がっていた人だ。
その成田さんが、自分の姿を覚えてくれていた。
そして「頑張ってた」と言ってくれた。

当時の自分が、その言葉をどう受け止めたのかは覚えていない。
けれど、その言葉のひとつひとつは、今でも鮮明に心に残っている。

自分の意思で線を引いて、諦めてしまったバスケ部。
だが、どこにチャンスが眠っているのか、可能性があるのか、そんなのは誰にもわからない。
だからこそ、自分で未来を決めつけてしまうのは、時に大きな誤りになる。

あの夜、成田さんが残してくれた一言は、
今も自分の中で、生きている。

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この記事を書いた人

石川信孝
茨城で建設会社を経営しています
工具はマイナスドライバー1本しか持っていません

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