「筑波大学バスケ部を辞めた日」〜自分で終わらせた夢の話〜
3年生の夏、自分の中の何かがぷつんと切れた。
それを境に、バスケ部の練習に顔を出さなくなった。
無断で1週間休んだが、誰からも連絡はなかった。
総勢60人もいるバスケ部。しかも自分は2軍の中でも控えの存在。
一人の不在など、誰の記憶にも残らないのかもしれない。
その1週間は、何もする気力がなかった。
家にこもり、ただ食べては寝るの繰り返し。授業もほぼ出ていなかった。
ただ、貧乏学生だった自分にとって、アルバイトだけは欠かせなかった。
つくばには、居酒屋、ファミレス、引っ越し屋など、たくさんのバイト先がある。
最低限の生活を維持するために、働くしかなかった。
バスケ部を離れて1ヶ月が過ぎた頃、2軍のコーチから言われた。
「辞めるなら、きちんと監督に話をしろ」
その言葉を受けて、自分は覚悟を決めた。
言い訳や説明をするつもりはなかった。
ただ、静かに、けじめだけをつけたかった。
笠原監督のもとを訪ねたとき、僕は一言だけ告げた。
「将来が見えなくなったので、辞めます。お世話になりました」
監督は短く、「そうか、わかった」とだけ言ってくれた。
夢を抱いて入部した筑波大学バスケ部。
心が折れてしまっても、どこかで誰かに引き止めてほしい気持ちもあったのかもしれない。
でも、あまりにあっさりと終わったその時間に、自分で決めたことなのに、少しだけ虚しさが残った。
それからの生活は、本当に「ゴミのような日々」だった。
日中はパチンコ屋に入り浸り、夜は居酒屋のバイトに出る。
目的も夢もない。生活のためだけにお金を稼ぐ毎日。
どこに向かっているのか、自分でもわからなかった。
そんなある日、バイト先の居酒屋に、筑波バスケ部の4年生・成田さんが飲みに来た。
成田さんは、良いことも悪いこともハッキリ言うタイプの人だった。
バスケ部時代、そんな彼の姿勢を密かに尊敬していた。
酒を飲みながら、成田さんはこう言った。
「お前は我慢が足りないんだよ。練習、一番頑張ってたろ?
4年で花が咲くこともあるんだよ。もったいない」
胸に刺さった。
あの成田さんも、長く2軍生活を続け、ようやく3年の終わり頃から1軍に上がっていた人だ。
その成田さんが、自分の姿を覚えてくれていた。
そして「頑張ってた」と言ってくれた。
当時の自分が、その言葉をどう受け止めたのかは覚えていない。
けれど、その言葉のひとつひとつは、今でも鮮明に心に残っている。
自分の意思で線を引いて、諦めてしまったバスケ部。
だが、どこにチャンスが眠っているのか、可能性があるのか、そんなのは誰にもわからない。
だからこそ、自分で未来を決めつけてしまうのは、時に大きな誤りになる。
あの夜、成田さんが残してくれた一言は、
今も自分の中で、生きている。

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