誓約書と退職届
自分には――ひとつだけ、どうしても譲れない信念があった。
それは「部下を守ること」。
ましてや、それが立場の弱い女性社員であればなおさらだった。
社長からの“現実的”すぎる判断。
No2をかばい、売上を優先し、「パンツの中に手を突っ込まなければセクハラではない」などという時代錯誤な言葉を聞いたあの夜から、ずっと心の中で悶々としていた。
だが、自分には“切り札”があった。
それは、No2本人がセクハラの事実を認め、今後の処遇をすべて自分に一任すると記された誓約書だった。
その紙には彼の署名と捺印がしっかり残っていた。
No2は出向社員で、その期間は3年と決まっていた。
そして事件が起きたのは、ちょうど3月末の出向期限が迫っていたタイミングだった。
No2はまだ派遣会社に残りたいと強く希望していた。
だが、自分の中ではすでに答えが出ていた。
ある日、静かにNo2を呼び出した。
「これ、書いたの覚えてるよな?」
机の上に誓約書をそっと置いた瞬間、彼の顔が引きつった。
「お、おぼえてます……」
どうやら先日の社長との“居酒屋会議”で、出向が延長されると思い込んでいたようだった。
「これ、返すよ」
そう言って誓約書を手渡した。
「いいんですか?ありがとうございます……」
安堵の表情を浮かべる彼に、すかさず条件を提示した。
「ただし、条件がある。出向は3月末で終わり。延長は希望せずに、本社へ戻ってくれ」
彼は沈黙し、目を伏せた。
「人の人生を壊しておいて、自分だけ会社に残るという選択をするならそれでもいい。ただ、この誓約書は自分が抱えていく。上場企業の社員がセクハラをしたという事実と共に」
その言葉に、ようやく彼は観念したようだった。
「もっと部長のもとで学ばせてもらいたかったんですが……」
「セクハラで辞めていった社員も、同じことを言ってたよ」
ぐっと口を噤む彼に、最後の一言を加えた。
「この話を社長に伝えてもかまわない。どうせ自分を飛び越えて報告するだろうから」
「い、いいませんよ……」
「伝えるなら明後日にしてくれ」
「……わ、わかりました」
その翌日、自分は退職届を社長に提出した。
次の職も何も決まっていなかった。
だが、迷いはなかった。
セクハラを受けた社員を守り切れなかったこと。
そして何より、セクハラをなかったことにしようとする社長の姿勢に、もうついていけないと強く感じていた。
それでも、ここまでやってきた2年間はかけがえのない時間だった。
黒字化に成功し、社員も15名を超える組織にまで成長した。
だが、その中で、自分の中で絶対に守るべきもの――
それが揺らいだ瞬間、この場所にはいられないと強く思った。
3月末、自分とNo2のふたりが会社を去ることになった。
土浦の夜のネオンが、どこか寂しく見えたのは、気のせいではなかったのだろう。

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