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起業物語Re5 生い立ち

中学生になると、多くの男子と同じように、少しずつ異性を意識するようになった。
思春期というやつだ。自分も例外ではなかった。「彼女がほしい」「モテたい」という気持ちが自然と湧き上がってきた。

けれど、すぐにその気持ちは打ち消された。
頭にある火傷の跡。鏡を見るたびに、そこに視線がいってしまう。
「こんな自分を好きになってくれる子なんて、いるはずがない」
そんな風に、自分自身に言い聞かせる癖がついてしまっていた。まるで、自分に期待しないように自分を守っているようだった。

そんな中、小学校からの先輩が声をかけてくれた。
「バスケ部、入ってみない?」と。
それまで特別スポーツが得意だったわけではなかったが、妙にその言葉が心に引っかかった。

表向きは「先輩に誘われたから」としていたが、心の中では「もしかしたらバスケをやれば、ちょっとはカッコよく見られるかもしれない」と思っていた。
バスケをしている男子って、どこかスマートで、女の子からも人気がある印象があった。
自分にも、そんな未来があるかもしれない。そんな希望が、入部の背中を押した。

そして、それは後に振り返れば、自分の人生の大きな分岐点になった。

バスケ部に入って最初に驚いたのは、3年生の先輩たちのレベルの高さだった。
中でもひときわ目立つ先輩がいて、その人のプレーは目を見張るものがあった。
レッグスルー、ノールックパス、ステップバック…。
テレビの中でしか見たことがないようなテクニックを、自分の目の前で軽々とやってのけるその姿に、憧れというより“驚嘆”に近い気持ちを覚えた。

「自分も、あんな風にプレーしてみたい」
そう思って、自然とボールを触る時間が増えていった。
昼休みも放課後も、部活以外の時間ですらもバスケに夢中になっていった。
火傷のことや劣等感を忘れていられる時間。それが自分にとっての「バスケットボール」だった。

ただ、学校生活は決して順風満帆ではなかった。

当時の中学校は、いわゆる“荒れた学校”だった。
男子生徒の半分近くがヤンキーのような風貌で、教室も廊下もピリピリとした空気が漂っていた。
そんな中で、ある日事件が起きた。

1年生の最初、学級委員を決める場面。
とある友人(当時は友人と思っていた)に、軽いイタズラのつもりで推薦されてしまった。
周囲の笑いと担任の了承で、まさかの学級委員に任命されてしまった。

これが、地獄の始まりだった。

「なんでお前が学級委員なんだよ」
「調子に乗ってるんじゃねえよ」

ヤンキーたちからの目線が一気に厳しくなった。
机に落書き、無視、ちょっとした暴言。明確な暴力はなかったが、精神的にきつい毎日が続いた。

それでも、自分を支えてくれたのはバスケットボールだった。
昼間、教室では肩身の狭い思いをしても、放課後の体育館では別の自分になれた。
ドリブルの音、汗のにおい、仲間との掛け声。
そこには、火傷も、学級委員も、ヤンキーの視線も関係なかった。

思えば、バスケ部は不思議な居場所だった。
背が高い子も、低い子も、家庭環境がバラバラな子もいたけれど、ボールを追いかける時間だけは平等だった。
先輩たちも、技術には厳しかったけれど、それ以外で差別をするような人はいなかった。

バスケを通じて、少しずつ自分にも自信が芽生え始めた。
最初は全然シュートも入らなかったが、何度も何度も繰り返すうちに、少しずつ手応えが出てきた。
「努力すれば、少しは変われるのかもしれない」
そんな感覚が、自分を支えてくれた。

思春期特有の不安定さ、劣等感、環境の厳しさ。
それでも、自分にはバスケがあった。
そして、母の教え――「明るく突き返せ」――も、心のどこかに生き続けていた。

あの中学時代があったからこそ、今の自分がある。
火傷に悩み、他人の視線に怯えながらも、夢中になれるものを見つけたあの頃。
決して華やかな青春ではなかったけれど、自分にとっては、確かに意味のある3年間だった。

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この記事を書いた人

石川信孝
茨城で建設会社を経営しています
工具はマイナスドライバー1本しか持っていません

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