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起業物語Re18 生い立ち

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【起業物語】バスケ部の洗礼 〜伝説の「ボウズメン」誕生〜

大学バスケ部に入部して間もなく、1年生の自分たちには「洗礼」ともいえる仕事があった。
それが、データ取りである。

試合中、1軍の選手がどれだけシュートを打ち、何本決め、リバウンドを何本取ったか。ファウル数、ターンオーバー、アシスト…。これらすべてをアナログで手作業で記録していく。
一人が試合を見ながら読み上げ、もう一人が手元の紙に必死で記録していくという地道で神経を使う作業だ。
2クォーター終了時点で、即座に監督の元に届けなければならないし、次の対戦相手の試合を録り、集計し、翌朝までに提出しなければならないというルールもあった。

もちろん、それは単なる雑用ではない。
**監督が戦術を練るうえで最も重要な「情報」**であり、言わばチームの頭脳を担う任務だった。

その大切なデータ係に、自分は任命された。
1年生の中でも、比較的落ち着いていて真面目そうだと思われたのかもしれない。
5人のうちの一人として、毎週リーグ戦や練習試合の集計に奔走した。

特に代々木体育館で行われる関東1部リーグの試合は、自分にとって「最高の学びの場」だった。
1軍のトッププレイヤーの試合を間近で見られる。先輩やプロ候補たちの動き、戦略、駆け引きを間近で体感できる。
データ取りのために最後の試合まで残るのは、むしろ楽しみでしかなかった


あの日の“事件”

そんなある日、事件が起こった。
1年生の仲間に「緒方くん」という男がいた。彼もまたデータ班の一員だった。

その日、彼の担当は“前日の対戦相手のデータ集計”だった。
だが、彼はそれをまるっと忘れていた

試合当日、監督に提出しなければならない時間が迫る中、緒方くんは真っ青な顔で硬直していた。
だが、監督への報告をしないわけにはいかない。

躊躇する彼の代わりに、自分が手を挙げて監督の元に向かった。
「すみません。データの集計を忘れてしまい、提出できません。」

その瞬間、空気が変わった。

1軍の監督であり、全日本の監督経験もある笠原監督の目が「鬼軍曹」へと変貌を遂げた。
何を言われたか正直覚えていない。が、怒声と怒気と恐怖に満ちた時間だったことだけは、今でもはっきりと記憶に焼き付いている。

そして、伝えたのが自分だったため、まるで自分がミスしたかのような空気が漂っていた。


地獄の“連帯責任”

当時のバスケ部は、超体育会系の縦社会
1年生の責任は2年生に、2年生の責任は3年生へと連鎖していく。

結果的に、データ班の1年生5人は連帯責任をとらされ、
全員坊主という処罰を受けることとなった。

自分には頭に火傷の跡があるため、本当に坊主になるのは嫌だった。
けれど、そこに言い訳は通じない。

翌日の練習から、5人揃って坊主頭で登場することになった。


伝説の誕生「ボウズメン」

練習中、5人一組で行うメニューがあり、偶然にもその坊主5人が同じチームになった。
その姿があまりにも異様だったのか、先輩たちは腹を抱えて笑い出した。

「お前ら、戦隊モノかよ!ボウズレンジャーか?」

そんな冗談から、僕たちのチームには新たなあだ名が生まれた。

「ボウズメン」

先輩たちは、ことあるごとにこの名前を呼んでくれ、逆にその後は少しだけ“イジられ枠”として可愛がってもらえるようになった気がする。


髪は生えてこないけど、学びは残る

練習の終盤、笠原監督が現れ、僕たち坊主5人の姿を見てふっと笑みを浮かべた

「坊主になんてしなくてよかったのに。」

それは怒りではなく、むしろ優しさがにじむ一言だった。

髪はすぐに生えてこない。
けれど、「仲間と責任を共有すること」「言い訳せずに受け入れること」「どんなミスも乗り越えて笑いに変えること」
そうした大事な教訓は、この“バスケ部の洗礼”の中で学べた気がする。


それにしても、坊主にされた当日、風がやたらと冷たかったのは忘れられない。
ありがとう笠原監督。
坊主にしても、気合いは髪の毛より重かったです。

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この記事を書いた人

石川信孝
茨城で建設会社を経営しています
工具はマイナスドライバー1本しか持っていません

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